私は、夢路の絵のような女性を美しいと思うし、M.モンローのような女性も素敵だと思う。 サンプルが時代遅れかなあ・・・今朝、知花くららさんをテレビで見た。美しい。ピンクのユリみたいだ!どのような人々の間にも、美醜の格差がある。 上記の女性達と私と比べれば、驚天動地の格差だ。 だからと言って「格差だ!」とは、誰も言い募らない。 平然としている。
健康についても同様だ。 ホーキング氏がシュワちゃんに「格差だ」とは言わないだろう。
それなのに、なぜ、所得についてだけ、「格差」を叫ぶ人々がいるのか。
世界でも稀なほど所得格差の少ない日本で、なぜ、多くの人々が所得に対する不満を持つのだろうか。
私は、戦後、長きにわたって続けられた「皆仲良く、お手手つないでゴールイン」の日教組による、「結果の平等こそ正義」という社会主義教育の結果だと思う。所得格差を叫ぶ人々は、是非、日教組催眠から目を覚まして欲しい。特に先生方とマスコミ!
「結果の平等こそ正義」と思い続ければ、人は長者番付一位になるまで満足しない。 目の前にあるチャンスに目を向けない事もある。不幸だ。
お金は勿論大切で、多くの人々に貢献した人には、それだけ多くのお金を回すことによって、感謝の気持を表す有力な社会的手段の一つだ。
「結果の平等」は、財を配る立場の人々の自尊心だけが満足し、その他大勢は弱者と看做され、「私は弱く、不幸なんだ」と思わされるシステムだ。
よーく考えて頂きたい。 あなたは「弱者」と評価されたいのか? 「否」ならば、他者も弱者と呼ぶのは無礼だ。人もケダモノの一種だ。 自分がまわりに「強い」と思われたいという本能には、逆らえないはずだ。
私は、自らの意思次第で「強者」になり得る「機会の平等」、即ち、老若男女、筋肉マンも手足の不自由な人も、頭の不自由な人も(私か♪)、その強さに応じて平等な機会を与えられる社会に近付くことが、人々の幸福に資するものと思う。
私は、殆んど、年金で生活している「低所得者」だ。 モンローにも夢路の絵にもなれはしないが、実はとても我慢強い。 、楽天的だ。 その強さだけで、私は十分、誇り高く、幸せに生きている。
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