馬込で、認知症の妻と知的障害を持つ息子の介護を独りでしていた85歳の男性が亡くなったそうだ。 偶々、ご近所が異変に気がついたから良かったが、そうでなければ、妻も息子も大変な事になっていたかも知れない。
「私は元気だから」と最後まで介護保険を使わなかったそうだ。 明るい家族だったそうだ。 素晴らしく、優しく強い男性だ。 でも、私は敢えて言う。 彼は介護保険を使うべきだった。
現在、殆んどの日本人は衣類を洗うのに洗濯機を使う。 桃太郎のおばあさんのように川で洗濯する人は滅多にいない。 川で洗ったから、心がこもっていて、汚れが良く落ちるなんて考える人がいるかも知れないが錯覚だ。 そういったタイプの錯覚にどれだけの嫁さんが泣いていることか。 「洗濯機や洗剤という玄人」に任せた方が良い。
介護保険や施設などは洗濯機と同じ道具の一つと考え、体に無理をさせないため、可能な限りつかうべきだ。そうすれば、介護される人は勿論、自分にも家族にも、「思いやり」という、心に不可欠のエネルギーを注入する余裕ができる。 辛く不安な時、来し方を知る身近な人の思いやりは、心を暖め元気にしてくれる、冬の寒い日のお日様のようなものだ。
社会の便利な道具は人が何を言おうと、どんどん使おう。 使えば使うほど、消費者の声を受けて進化し、使い勝手がよくなる。 遠慮なく使おう。
梅「は」咲いた。
でも、日向山の春はどこかへ行ってしまった。 つまらない。
「しばらくー、使い捨てカイロちゃん、背中にどうぞ!」
これで解った。 寒さなんか、ドウって事は無い。 何日もお日様の見えないのが応えるのだ。
そうだ、庭に咲く、お日様の使者福寿草を見に行こう。